トニー・オコナーインタビュー

トニー・オコナー

ほとんどの作曲家は、すぐに自分たちの作品の所有権を主張しますが(そして彼らはそうすべきなのですが)、私にとって音楽を創るということは、実際に考案するというよりも、目の当たりにするという経験です。あたかも、私が夕食に招待されてあなたの家を訪れると想像してみてください。道すがら、私は丘陵地帯を車を運転していて、とても美しい夕日を目の当たりにしたとします。私は車を止めて、そんな自然の感動的な光景を楽しんだとします。私はあなたの家に着くと、この夕日について話さずにはいられないでしょう。どんな色だったとか、どんな風に夕闇が地平線の上に垂れ込めてきたかとか、金色から、ピンク、そしてブルーに変わり・・・。私は自分が目の当たりにした経験を共有したいのです。

私にとって音楽を創ることは、それと同じようなものです。実際になにかを考案してプロデュースするというよりも、なにか素晴らしいできごとを描写して、感動をあなたと共有しようとしているように感じます。私は、それを描写するのに言葉ではなくて、音符と音を使用しているのです。私は、確かに、自分でプロデュースして作曲していますが、私の経験は自分のものではなくて、みんなで共有するものなのです。

ですから、私の音楽を聴くときには、私は、「この音楽を聴いてくれ、私を見てくれ、どんな風に演奏しているか見えるかい、私の演奏が聞こえるかい」と言っているのではなく、「あなたもこんな風に聞こえますか?」と言っているのだと分かってください。

(トニー・オコナーのホームページから抜粋翻訳しました)


トニー・オコナー物語

トニー・オコナー

トニーの最初のアルバム「Journey(旅行)」は「Creative Relaxation Music(創造的リラックス音楽)」という宣伝文句で1987年に発売されました。当時、トニーは、心理学者やマッサージ師と一緒に仕事をして、リスナーがリラックスして穏やかな気持ちになれる音楽を作ろうとしていました。その結果はとても良くて、Journeyはすぐに人気アルバムになり、オーストラリア全国の多くのセラピストやナチュラルヘルスケア専門家から支持されました。

1990年までに、トニーはさらに二枚のアルバムを発売しました。彼自身驚いたことに、これらのアルバムは全国の一般の音楽ファンから高い支持を受けました。単なるリラックス音楽を超えて、リスナーはトニーの特徴的なメロディーと演奏に魅了されたのでした。

大手の音楽会社との交渉が上手く行かなかったので、トニーと妻のJacqui(ジャッキ)は自分たちの音楽レーベル「Studio Horizon(スタジオ・ホライズン)」を立ち上げ、ニューエイジショップ(瞑想などをする店)、本屋、画廊、その他の小売店や、リラクゼーション・センター、学校、病院、静養所などに商品を卸し始めました。

1991年までに、トニーは「Mariner(船員)」を作曲、プロデュースしました。このアルバムで、トニーは、オーストラリアで知らない人はいない程の有名人となり、また、世界中の聴衆を魅了し始めました。オーストラリアのテレビ番組「Healthy, Wealthy and Wise(健康で、裕福で、賢い)」で取り上げられて、Marinerは僅か数週間でゴールドアルバムとなりました。現在までに、150万枚以上販売されています。

1992年から1997年の間、トニーは、オーストラリアの自然写真家「Steve Parish(スティーブ・パリッシュ)」と一緒に仕事をしました。この二人のアーチストは、共同で作業して、「Uluru(ウルル)」、「Kakadu(カカドゥ)」「Rainforest Magic(レインフォーリスト・マジック)」、「Wilderness(ワイルダーネス)」「Windjana(ウィンジャナ)」などの自然をテーマにして、音楽とグラフィックイメージ(CDブック、卓上用大型豪華本など)を革新的な手法で組み合わせて見せました。これらのアルバムは、独立系アーチストとしては前例がないほどに売れ、各々のアルバムは発売後僅か数ヶ月でダブル・プラチナセールスを達成。トニーのCDは、全国3,000以上の小売店で販売されました。

この偉大な音楽家は、毎年、新しいアルバムを発売し、また、テレビのドキュメンタリー番組のために作曲しました。1998年の全国コンサートツアーでは、チケットは完売し、見事な演奏が披露されました。このツアーの頂点は、シドニーのオペラハウスでの演奏で、ABC(オーストラリア国営放送)」により収録されました。

トニー・オコナーは、独立系のアーチストとして、また、オーストラリアで最も人気のあるインストルメンタル音楽の作曲家として、多くのストレスマネジメントとウェルビーイングの音楽を作曲。2010年5月23日、家族に見舞われながら死亡。

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